山田ひろしの主張の中で、五島に於ける五年一貫看護師養成過程の教育環境整備の支援活動を主張する理由は?
五島市は、およそ十人のうち三人は六十五歳以上の高齢化率のため老人福祉施設では看護師不足が深刻化しております。また、市内の公立病院(富江・奈留・五島中央病院)では、今後十年間で六十人以上の多くの定年退職者が予定されており看護師不足が深刻化しております。更に、壱岐・対馬・五島の三つ離島の高校卒業生のうち、およそ十人のうち一人は看護師系の学校に進学しており、その高校卒業生のほとんどは、県外へ進学している実情であります。こういった状況の中で私が、この件を主張し実現する事で、 今後の五島を含む離島の高齢化対策、医療の充実、教育環境整備の充実、雇用の促進につながるわけであります。
東京羽田空港拡張後に於ける五島-東京間の夏期間限定航路新設の支援活動する理由は?
当主張を実現する事で五島の更なる交流人口を増やし、農産物・水産物の需要を高めて行く事で、農業 ・漁業の課題の一つであります農産物・水産物の価格の低迷の打開策の一つとなり、五島の基幹産業であります農業・漁業・観光業の支援対策につながるからです。
長崎~福江港~富江間の国道指定の支援活動を主張する理由は?
九州新幹線西九州ルート(長崎ルート)による経済波及効果を目指し、更に五島の豊かな自然の資源を活用した新たな観光ルートの展開及び五島の地場産業の育成・強力等、地域に活用を与えるわけであります 。
また、農業・漁業・商工業に於ける長崎-五島間の物流コスト削減の第一歩活動として考えております。壱岐・対馬・上五島を結ぶ海の国道は、昭和四十九年十一月に指定されておりますが、長崎-福江港間のみ指定されておりません。海の国道の指定を受けた後には、海の国道に対する物流コストの削減対策として、国へ交付金等の支援を求めて行きたいと思っております。
政治家を志したのはなぜ?
私、山田ひろしは、実は教師になることを夢見ておりました。私の母が私のあまりに学業の成績がひどいために、この子は将来が大丈夫だろうかと思い、当時小学校一年生の担任、故・永井先生に相談したところ、この子は絵が上手だから、絵が上手な子はちょっと勉強すれば、学業成績はすぐ良くなりますという言葉を私に言い聞かせました。その結果、私の成績も多少なり良くなったということがあって、それから将来は故・永井先生の様な教師を目指して学業を励むようになったわけです。
ところが人生の転機が訪れました。中学校一年生の頃、不慮の事故で父親を亡くし家庭の生活環境がガラリと変わり、大人一人、子供五人の家族の厳しい生活を強いられました。
そこで私は、この離島五島で母子家庭等でも親の収入に心配することなく安心して学業に励み、安定した暮らしができる経済、家庭環境を作る事が出来る仕事として、政治家を目指したのです。
そこで、私の名刺に「元気で明るい未来ある長崎県五島の産業発展を目指して頑張ります」を自分自身に言い聞かせる様に名刺等に書いて頑張っております。